消費者を引きつけるネーミングはどこまで許されるか [食べ物に関する疑問]
巷に流通している各種製品には、消費者に手にとってもらい、
購入してもらうためのネーミングが施されています。
買ってみてから「名前にだまされた」と感じる商品も少なくありませんが、
ネーミングだけで買ってしまった自分にも、
それなりに責任があると、ついつい引っ込んでしまいがちでした。
(いつも、「これからは製品の表示をもっとよく読んでから買おう」と
思ってしまいます)
炭酸は本当に嫌われているのか? [食べ物に関する疑問]
炭酸飲料が好きです。特にコーラ。
体に良くないのではないかと思いながらも、やめられません。
昔は、炭酸飲料がたくさんありましたよね。
コーラ、スプライト、サイダー、ファンタ、メッツ、チェリオ...。
もちろん、今でも残っているわけですが、
コンビニに行っても、炭酸飲料はかなり慎ましやかに、
冷蔵庫の下の方で形見を狭くして寄り添っています。
特に気になるのは、炭酸飲料の炭酸が、昔より少なくなって、
「低炭酸」「微炭酸」という形で売られはじめていること。
本当に炭酸は嫌われてしまっているのでしょうか?
たしかに、炭酸飲料はそもそも健康に悪そうだし、
飲んだ後にゲップが出るしと、
良いことないような気がしますが、
それでも、みんな仕事の後のビールは好きですよね。
少なくとも、ハンバーガーやピザ、フライドチキンなどには
あきらかに炭酸飲料が合う気がします。
(どれも毎日のように食べてしまうと、カロリーが高すぎだと思いますが)
国民は本当に炭酸飲料が嫌いになってしまったのでしょうか?
それとも、実はみんな嫌いではないものの、
「炭酸飲料はちょっと...」と言うことで、
ポーズを取っているだけなのでしょうか。
最近は、ガス入りミネラルウォーター(炭酸入りの水)による、
ダイエット(炭酸がお腹にはいることで満腹感が得られる)なども
提唱されているようですが、
いかがなもんでしょうか?
美味しいものはみんな美味しい? [食べ物に関する疑問]
他人と一緒に食事をするとき、その人の好みと自分の好みが合うかどうかによって、
その食事が美味しくもまずくもなりますよね。
特に自分の好みでないレストランなどに連れて行かれると、
結構しんどいです。
そもそも、味覚というものはどのように形成され、
またどのような差異を持つものなのでしょうか。
「味覚は生まれつきのもの」と言われることもありますが、
それは本当でしょうか?
和食が好きか、洋食が好きか、
エビの天ぷらかエビフライか、
といった問題は、それほど大きな問題ではないように思います。
最近気になっているのは、
「まずいもの」に関する感覚です。
もちろん、人それぞれ、好き嫌いがあります。
僕も、アンチョビとコリアンダーが苦手です。
一方、今日問題にしたいのは、
その料理を「美味しい」と思うか、「美味しくない」と思うかの違いです。
例えば、こんなケースがありました。
職場の先輩と一緒に、お昼ご飯を食べに外に出たときのこと。
フライものを中心とした「日替わり定食」を注文したのですが、
正直なところ、素材が新鮮でないせいか、あまり美味しくないと感じました。
しかしその先輩は、「うまい、うまい」といって、食べていました。
別の機会に、その先輩とまた一緒に食事に出たところ、
「今日もあの店に行こう」といって、上記の店に連れて行かれそうになったので、
「今日は別の店にしませんか」と遮らざるをえないことがありました。
つまるところ、美味しいものは誰にとっても美味しいのだけれど、
実は美味しくないものを「美味しい」と思えてしまう人が、
世の中には少なくないのではないかと、考えるようになりました。
「違いがわからない」「味がわからない」と言われている人は、
美味しいものを美味しいと思えないのではなく、
まずいものでも美味しいと思ってしまう人のことではないでしょうか。
医学的に言って、そのあたりどうなのかは、全くわかりませんが、
どなたかご存じの方、いらっしゃいませんか?
でもよく考えてみると、美味しくないものも美味しいと思える人は、
実は人生ハッピーなのではないかという気がしなくもありません。
一方、少し意地悪気味に考えると、
美味しくないものを美味しいと思う人は、
食材が腐りかけていて体に悪影響を与えてしまうものも
美味しいと言って食べてしまう人かもしれず、
そうなると、生理的な危機管理能力の弱い人と言えるかもしれません。
さらに思考を巡らせていくと、危機管理能力が低いと言うことではなく、
胃の消化能力や解毒機能が優れている人かもしれず、
結局のところ、良いことなのか、悪いことなのか、
永遠に堂々巡りしそうな気がしています(???)
納豆のセロファンは必要か? [食べ物に関する疑問]
納豆嫌いな方、ごめんなさい。
納豆、大好きです。
最近は2日に1度くらいの頻度で食べています。
もう随分前から、納豆といえば四角い発泡スチロール製の
容器に入っています。
納豆を食べるときに、容器を開けると、
半透明なセロファンが納豆本体の上にかぶせられていることが多いです。
セロファンをはがすとき、そこに納豆が付かないように、
また、納豆の糸が伸びすぎないようにと、
注意してはがすことになります。
納豆ファンの方は、あの一連の作業が楽しいということなのかもしれませんが、
セロファンに納豆の粒がいくつもくっついてきてしまうと、
「今日は縁起が悪いな」などと思ってしまうこともあり、
そもそも「面倒くさい」という気持ちで一杯になります。
ところであのセロファン、何のために付いているのでしょうか?
納豆の品質保持のために、必要不可欠なものなのでしょうか?
どうも、納豆を混ぜる際に投入するカラシと「たれ」
(醤油の場合と、昆布たれの場合がある。最近は昆布たれがお気に入り)
が納豆にくっついてしまわないために、単に「仕切り」を設けているだけのような気がします。
最近みつけた納豆は、プラスチック容器の上の部分が少しくぼんでいて、
そこにカラシとたれが置かれていて、
容器の中には入っていません。
そのためか、納豆本体の上に、セロファンが置かれていません。
毎日のように食べるものだからこそ、
ユーザーフレンドリーであってほしい、と思うのですが、
正直なところ、あのセロファンの役割は、何なのでしょうか?
とは言ってみたものの、旅館などに泊まったときに、
朝ごはんに納豆が出てきて、
「あ、今日はセロファンに納豆粒が付かなかった。ラッキー」
といってひそかにニヤニヤするのも、
楽しいんですけどね。
ケーキは見た目が大事? [食べ物に関する疑問]
クリスマスの時期になりました。
あちこちで、たくさんケーキが販売されています。
僕も甘いものは大好きです。
基本的に、シンプルなショートケーキ(生クリームと、イチゴのもの)が気に入っています。
最近のケーキは見た目もきれいで、
様々なデコレーションが施されています。
ケーキを自分で購入する機会は年に何回もありませんが、
それでも購入時にはあれこれと悩みながら選ぶのも楽しみの一つです。
ところで、ケーキを買うときに、
悩みつつも絶対に自分では購入しない種類のものがあります。
「ミルフィーユ」
決して嫌いなわけではありません。
パイ生地がサクサクとして、
僕の周囲にも好きな人がたくさんいます。
ですが、結構気になっていることが。
ミルフィーユ、食べづらくありませんか?
今まで、ミルフィーユをきれいに食べきったことがありません。
フォークを刺すと必ずボロボロとパイ部分が崩れてしまい、
その崩れた部分がもったいなくて、
手でつかんだり、
それこそ崩れないように大きな口をあけて
みっともない顔をしながら食べることになります。
ミルフィーユは見た目(切り口)が層状になってきれいですし、
香ばしいところもそそるものがありますが、
はっきり言って、食べ手のことを考えてくれている食べ物とは思えません。
もう少し食べやすいミルフィーユ、
どなたか(カリスマパティシエが)考えてくれませんでしょうか。
お茶か、水か? [食べ物に関する疑問]
平日のお昼は、完全に外食です。
仕事が忙しくて外に食べにいけないときはコンビニおにぎりやサンドイッチと
いうこともありますが、
できれば気分転換にと、お昼ぐらいは外に出ます。
お昼に限らないことですが、
飲食店では、注文の前にお茶か水が出てきますよね。
特に和食のお店だと、お茶の比率が高いようです。
ここで問題なのは、食事にはお茶と水と、
どちらが好ましいのかということです。
たしかに、食後にゆっくりとくつろぐことを考えると、
お茶の方が好ましいですし、
なによりお茶の方が水よりはお金がかかっていそうで、
「お店がお客のことを考えてくれているな」という気になります。
ですが、僕は完全に「水派」です。
お茶は食事の後に飲むものであって、
食事中は
①熱くないので飲みやすい
②食べ物の味でいっぱいになった口の中を洗い流してくれる
ということから、水に軍配を上げたいと思っています。
特に、熱いものを食べているときに、熱いお茶は飲みづらいです。
(僕は猫舌ではないですが)
一番良いのは、最初は水で、あとでお茶を出してくれることなんですけどね。
早い安い系の飲食店の場合、お茶が出てくることが多いですね。
熱いお茶であれば、お客さんをもてなしているという
印象を持ってもらいやすいとの意図が見えるのですが、
一方で、熱いお茶であれば何度もお茶のお代わりをするお客さんがいないので、
店員の手間が減る、という魂胆が見え隠れするような気がするのですが、
これは嫌味な見方でしょうか?
若鶏、仔牛、仔羊? [食べ物に関する疑問]
居酒屋やレストランなどでメニューを見ると、
「若鶏の唐揚げ」
「仔羊のグリエ」
「仔牛のカツレツ」
というような、お肉が「若い」ことを示す形容詞をしばしば見かけます。
ところでこの「若鶏」「仔牛」「仔羊」というのは、
どのような基準で付けられているのでしょうか。
少なくともスーパーマーケットで鶏肉を買うときに、
「若鶏」と記載されていることはあまりないように思います。
つまり、飲食店において、消費者の目を引くために付けられているような気がします。
しかしこれが、本当に「若鶏」なのでしょうか?
結局スーパーで買ってきた、なんてことはない鶏肉が、
「若鶏」の唐揚げとして、メニューに出されているのではないでしょうか。
それから、この「若鶏」問題と同様、
「地鶏のソテー」というような、
いかにも丁寧に育てられた鶏肉だということをうたう商品名についても、
検討が必要だと思います。
「榛名地鶏のソテー」のように産地まで特定し、
そして本当にその地鶏を料理しているのであればともかく、
やはり普通の鶏肉を産地の特定を行わずに
「地鶏のソテー」として提供しているのであれば、
消費者を混乱させることになります。
なんでも行政に頼ることは良くないと思っていますが、
このあたり、公正取引委員会はどう思っているのでしょうか?
なお蛇足ですが、「仔豚の○○」というような料理は見かけませんね。
(「子豚の丸焼き」以外は。豚は若いと美味しくないのかな?)